失業したけど、なにか?【第3話】

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親父と母親

僕が横浜に来た理由のひとつに、田舎に一人置いてきた母親への仕送りがあった

母ちゃん、いっぱい稼いで楽させてやっからな!

僕が生まれた頃、親父と母親は飲食店を経営していて、幼い僕たちを預けて夜遅くまで働いていた

たまにお店で親父が作ってくれるまっ黒いカレーが美味かったのと、2人が忙しく働いていたことが、今でも鮮明に記憶に残っている

親父は普段はとてもおとなしい人で、酒を飲むと饒舌になり、僕は酔っ払って喋る親父よりも、普段は寡黙だが、たまに僕らを見ては微笑んでいる親父がほうが好きだった

だがそんなお店も、僕が小学生の頃に経営が苦しくなり、店を閉めて借金だけが残った

それからというもの昼ドラによくありがちな、親父は酒に溺れ、職を転々としていた

母親も外で働きながら僕ら兄弟を育て、無理が祟って足を悪くし、今でも足を引きずるようにして歩いている

貧乏だったが、何とか家族で支え合い生活していた

しかし、どこで歯車が狂ったのか親父と母親は僕が17才のとき離婚する

少年時代

僕は子供の頃、喘息でしょっちゅう発作が起きては、夜中だろうが母親に連れられて病院に行っていた

治療が終わって待合室で僕が待っていると、母親は受付で看護婦さんと何か話しをしている

母親
ちょっと手持ちがないのでツケといてもらえます?

飲み屋じゃあるまいし、週に二、三度は病院に行っていたので、病院代はいつもツケ払い

電気・ガス・水道もしょっちゅう止まっていた

借金取りが家に来ると、僕が出て行かされ居留守の片棒を担がされた

真冬に電気が止められ、蝋燭の火だけがゆらゆら揺れている静寂のなか、一家五人で黙々と少ないおかずを分け合って食べた

靴下はいつも穴があいていて、洋服も一着しか持っていなかったので、学校に行ったらすぐジャージに着替えた

給食費が払えず、クラスメートの前で名前を呼ばれ、担任から督促状を渡される

日本の平均以下の家庭だった

いつも妄想のなかで、お腹いっぱい好きなモノを食べたり、病気が治っていたり、将来の幸せな自分を思い描がきながら、少年時代の僕は自分自身をコントロールしていた

失業したけど、なにか?【第4話】はコチラ


失業したけど、なにか?【第3話】
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